映画『誰も知らない』を視聴したきっかけ
最近、ドラマ『ライオンの隠れ家』を観て、主演を務めていた柳楽優弥さんの演技に圧倒されました。その演技力は非常に引き込まれるもので、思わず見入ってしまいました。柳楽さんの表現力とキャラクターへの没入感が凄くて、この役は他の誰にもできないと思うほど感動を覚えました。
この経験をきっかけに、柳楽さんが出演する他の映画にも興味を持つようになりました。中でも、カンヌ国際映画祭で第57回に最優秀主演男優賞を受賞した『誰も知らない』が柳楽さんの代表作としてよく挙げられていることを知り、この作品を最初に観ようと思いました。
しかし、この作品は非常に胸が締め付けられる内容で、最後まで観るのには勇気が必要でした。それでも、作品としても社会問題としても非常に考えさせられる内容だったので、そういった点も含めてご紹介したいと思います。
この映画は特にこんな方におすすめです!
- リアルなストーリーを求める方
- 是枝裕和監督の作品が好きな方
- 柳楽裕也さんの演技に興味がある方
作品情報
あらすじ
都内の2DKのアパートで、4人の兄妹は大好きな母親とともに穏やかに暮らしていました。しかし、兄妹それぞれの父親は異なり、3人の妹弟は大家にも存在を知られておらず、学校にも通ったことがありません。ある日、母親は少額のお金と短い手紙を残し、長男に妹弟の面倒を任せて家を出てしまいます。
突然母親に置き去りにされた子どもたちは、誰にも頼れない状況の中で、自分たちだけで懸命に生き抜こうとします。長男の明は弟妹たちを支えながら日々の生活を守ろうとしますが、次第に生活は厳しいものとなり、やがて悲劇が訪れます。社会から孤立し、大人の助けも得られない中で、それでも必死に生きようとする子どもたちの絆と、その切なさが深く描かれた作品です。
キャスト・スタッフ
キャスト
- 福島明(長男):柳楽優弥
- 福島けい子(母親):YOU
- 福島京子(長女):北浦愛
- 福島ゆき(次女):清水萌々子
- 福島茂(次男):木村飛影
- 水口紗希:韓英恵
- その他キャスト:加瀬亮、平泉成、木村裕一、寺島進 ほか
本作で主演を務めた柳楽優弥さんは、2004年の第57回カンヌ国際映画祭において、映画『誰も知らない』での演技により、最優秀男優賞を受賞しました。 当時14歳での受賞は、カンヌ映画祭史上最年少であり、日本人としても初の快挙でした。

柳楽優弥さんは『誰も知らない』の撮影当初、なんと12歳だったそうです…。
撮影当時、柳楽さんは成長期真っ只中でした。1年の撮影期間中に身長が146cmから163cmまで伸び、声変わりも経験したそうです。「物語の時間」と「実際の撮影期間」が異なる場合、その調整や自然に見せる工夫は非常に難しかっただろうと感じます。作中でも、妹が「お兄ちゃんなにその声」と問いかけ、それに対して明が「うるせー」と返すシーンがありましたが、こうした変化を巧みに取り入れた演出なのかもしれないと思いました。
スタッフ
- 監督・脚本・編集:是枝裕和
- 撮影:山崎裕
- 音楽:ゴンチチ
- 挿入歌:タテタカコ「宝石」
- 配給:シネカノン
是枝監督は日本を代表する映画監督の一人ですよね。私もすべての作品ではありませんが、過去にいくつか観たことがあります。その中でも『万引き家族』は特に印象に残っており、『誰も知らない』と同様にリアルな貧困の描写が非常に巧みだと改めて感じました。また、無理に映画的なドラマを盛り込もうとせず、日常に根ざしたリアルな描写を大切にしているように思います。そのため、観客に解釈の余地を与える場面が多く、深く考えさせる作品が多いと感じました。
映画『誰も知らない』を観て思った、率直な感想
映画『誰も知らない』を観て、視点が人それぞれ異なるとは思いますが、私は「子どもたちを見捨てた母親の行動の深刻さ」について強く考えさせられました。もちろん、子どもたちに焦点を当てて解釈することもできますが、私にとってはまず母親の責任が気になりました。
子どもたちはまだ年齢的に自分だけで生きていく力がなく、どこに頼るべきか、誰に助けを求めるべきか、選択肢が何かも理解することができません。そのため、彼らはただ路頭に迷うしかないのです。
母親が子どもたちを置き去りにした結果、彼らは大人に頼ることもできず、無力感と孤独感に苛まれながら生活していくしかありません。彼らの視点から見れば、母親は絶対的な存在であり、頼りにすべき唯一の存在です。その母親が突然姿を消してしまうことは、子どもたちにとって理解できない出来事であり、どうしてそんなことをするのかと疑問を持つ暇もなく、必死にその後の生活をつなげるために日々を過ごしていくのです。
この状況を描くことで、母親に対する怒りや失望が生まれると同時に、彼女の責任感の欠如が浮き彫りになっていたと感じました。私も無責任で自己中心的な母親に対して怒りを覚えました。しかし、根本的な問題は母親にあるとはいえ、最終的には社会全体が子どもたちを守るためのシステムを作らず、無関心で放置していることが、子どもたちをさらに追い詰めていくのだと思いました。
「大人として、困っている子どもを助ける責任がある」と感じる一方で、実際に目の前に困っている見知らぬ子どもがいた場合、「実際には自分には何ができるのだろうか」と考えてしまいました。その結果、私が抱いていた考えも結局は単なる理想論に過ぎないのではないかと思い、やりきれない気持ちになりました。
映画『誰も知らない』を紐解いていく / 考察

『誰も知らない』を観て、気になったことを順番に考えていこうと思います。
長男・明について
映画『誰も知らない』における長男・明(柳楽優弥)の役割は家族の中で非常に重要であり、母親が家を空ける中、明は弟妹たちの世話をし、家計を管理するなど家族を支える責任を果たしています。彼の優しさや責任感は家族をつなげる大切な要素となっています。
ですが、その責任感が強すぎることで、観ているこちらも不安を感じざるを得ませんでした。母親が家を去る前から、彼女は明に子どもたちの面倒をほとんど任せており、去った際にも明だけに向けて手紙が残されていました。母親が明に過度に依存していることが伝わり、明もそれに応えようとする姿が非常に切なく感じました。
映画の後半では、残されたお金が底をつき、電気や水道が止められるなど、明たちの生活はさらに厳しい状況に追い込まれていきます。その中で、明が兄妹たちに対して感情をぶつけてしまう場面があります。これまで家族を守るために重い責任を背負い続けてきた明が、ついにその重圧に耐え切れず、限界に達する瞬間が描かれています。それは、彼が長い間抱えてきた苦しみやストレスが一気に表面化した出来事でした。家族のために孤独な奮闘を続けてきた明の姿には、やり場のない痛みが滲んでいました。
周囲の無関心さ
明たちが路頭に迷った一番の原因は母親の行動にあるのは間違いありませんが、周囲の大人たちにも彼ら兄妹の異変に気づくチャンスはいくらでもあったと思います。父親、コンビニの店員、アパートの住人、近所の人々など、接点のあった人たちは少なからずいました。それでも誰も本格的な手助けをしようとはせず、仮に援助があったとしても、それは一時的なものでしかなく、根本的な解決には至りませんでした。
無関心でいるのか、それとも気づいていながら見て見ぬふりをしているのかは分かりませんが、結果として周囲の大人たちは皆、傍観者に留まっていました。この状況を見て、社会の仕組みが機能していない現実を突きつけられた気がしました。
もし、周囲の誰か一人でも本気で彼らを救おうと動いていたなら、彼らの未来は違っていたかもしれないと思うと、どうしようもない虚しさを感じます。
一般的なネグレクトの場合、発見した際に最初に思い浮かぶのは児童相談所への連絡かもしれません。ただ、その場合、明が恐れていた「兄妹全員がバラバラにされてしまう」という状況に繋がる可能性も否定できません。助けたいという善意があっても、彼ら自身が本当に何を望んでいるのか、どうしてほしいのかを考える必要があります。場合によってはその善意が押し付けがましく、相手にはエゴと受け取られてしまうこともあるでしょう。
だからこそ、このような問題に対処するのは非常に難しいと感じます。彼らが本当に必要としている支援と、周囲が提供すべき支援がうまく一致することが理想ですが、現実にはそう簡単にはいかないのかもしれません。
そのギャップが埋まらないまま放置されると、支援が支援として機能しないどころか、当事者たちをさらに追い詰めてしまう可能性もあると感じます。たとえば、兄妹たちにとって「一緒にいること」が何よりの安心であるにもかかわらず、それを奪うような措置が取られれば、彼らの心にさらに深い傷を残すことになります。少なくともデリケートな問題であることには違いありません。
だからこそ、本当に彼らの状況を理解し、必要なサポートを提供できるような仕組みが求められます。ただそのためには、個人だけでなく、社会全体の意識の変化や、より柔軟で現実的な支援体制の整備が必要不可欠です。
また、こうした問題を目の当たりにすると、自分がその場にいたら何ができただろうかと自問せざるを得ません。ただ、個人ができることには限界がある一方で、気づいた瞬間に行動を起こすことで変えられることもあるかもしれません。そういった一つ一つの小さな行動が積み重なり、社会の中で大きな変化を生む可能性もあると信じたいです。
最終的には、個人の善意と社会の仕組みの両方が、同時に機能することが必要なのではないかと思います。
実際の出来事に基づいた作品?モデルとなった事件とは?
この映画を観てまず驚いたのは、実際の出来事に基づいて作られているということでした。映画の冒頭にも「この映画は、東京で実際に起きた事件をモチーフにしています」と記されています。
観賞後、モデルとなった事件が気になり調べてみました。その事件は「巣鴨子供置き去り事件」と呼ばれ、1988年に東京都豊島区西巣鴨で発覚した保護責任者遺棄事件です。父親が蒸発し、その後母親も4人の子どもを家に残して出て行き、金銭的な援助はあったものの実質的にはネグレクト状態となりました。
この事件は当時、大きな話題を呼んだそうです。私は映画を観るまで、この事件の存在を知りませんでしたが、この作品をきっかけに様々なサイトで情報を調べ、実際の事件が映画よりもさらに過酷な内容であったことを知りました。
特に映画と異なる点について、実際の事件に焦点を当てて説明します。
- 長男、長女、次女、三女の家族構成 ※次男は生後間もなく死亡
(映画だと長男、長女、次男、次女) - 三女は長男の友人たちから暴行を受け亡くなっている
(映画だと椅子からの転落事故) - 長男は三女の死に関与しているとされている
続いて、映画では描かれなかったその後について
- 長女と次女は衰弱状態で発見され、保護される
- 母親は保護責任者遺棄致死の罪で逮捕・起訴され、有罪判決となる
- 長男は三女の死に関わっていたとされ、傷害致死ならびに死体遺棄で東京家庭裁判所に送致された後、状況を考慮され養護施設に送られる
- 長女と次女は母親に引き取られる
この映画が実際の出来事を基にしていること、そしてその現実が非常に残酷であったことを知り、強い衝撃を受けました。これは映画の中だけの話ではなく、実際にこうした出来事が起きていたという事実を忘れてはならないと感じました。
また、映画を通じて描かれた子どもたちの孤独や過酷な状況は、決して過去の出来事として終わったわけではなく、今もどこかで同じような境遇に置かれている子どもがいるかもしれないと思いました。
そう考えると、この映画は単なる悲劇の再現ではなく、社会に対する問いかけでもあるのではないでしょうか。私たちがこの現実から目を背けず、何ができるのかを考え続けることが大切だと感じました。
さいごに
『誰も知らない』は、ただのフィクションではなく、社会の片隅で起きている現実を映し出した作品です。この映画を観て感じたこと、考えさせられたことを、決して一過性のものにせず、これからも忘れずにいたいと思います。
私自身、この映画を観ている途中で辛くなり、一度視聴を中断してしまいました。それほど心に重くのしかかる作品でした。しかし、最後まで観ることができて本当によかったと思います。
子どもたちを取り巻く環境や、社会の在り方について、私たちは何をすべきなのか。この問いを胸に、今後も考え続けていきたいです。